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LASIK体験談-医師編-

医療者の側から受けた印象と身内ならではのウラの事情を思いのままに書いてみました。実際の言葉を拾っておりますので、これを読んで大阪の方言がきつい印象を受けるかもしれませんが、そのままの雰囲気を伝えたいと思い、なるべく忠実に表現してみました。ご批判やご要望があれば、多根記念眼科病院へのメールにて承っております。

筆者プロフィール

名前
木下太賀
年齢
29歳(2003年12月10日時点)
性別
男性
職業
眼科医
勤務先
多根記念眼科病院

近視の始まり

11月6日に近視を治す手術であるLASIK(レーシック)を受け、近視を治してしまった。今回の手術の体験について話していきたい。

そもそも、近視になり始めたのは高校3年生のときだ。高校は公立の進学校だったのだが、1・2年のときは総勉強時間が24時間に満たないほどのバカ学生だった。周りの受験ムードに流されて慣れない勉強をし始めるとなぜか一気に近視が進み始めた。それまでずっと2.0だったので少なからずショックであった。

予備校に入ってからソフトコンタクトとメガネをかけ始めたが、メガネは友人・家族に不評であったため、専らコンタクトレンズのみを装用していた。2年の浪人生活の後、医学部に入学した。この間も近視は進行していたが、実家が眼科であるためタダでソフトコンタクトレンズを細かに処方していた。2週間使い捨てのコンタクトレンズを2カ月ぐらい洗浄しながら使用したり、毎日洗浄が必要なレンズを3日連続で使用したり、かなりむちゃくちゃな使い方をしていた。現在は、このような使用方法をしている患者さんに、「そんなことしていたら感染を起こして失明しますよ」と説明している。その頃は眼科医ではなかったので、医者の不養生とは言わないだろう。

そういえば、大学1回生のときだ。ソフトコンタクトレンズの保存液を間違えて、A液→B液→目に装用しなければならないところを、A液→目に装用してしまった。A液は過酸化水素水だったため、レンズを入れた途端、激痛が走り、そっちの目での見え方が真っ白になってしまった。丁度、そのときに家に叔父がやってきたところだったのだが、目を真っ赤にして泣き腫らしている私を見てびっくりして帰ってしまった。父は旅行中だったため、あわてて兄に電話して相談すると、「水道水で20〜30分ぐらい洗ってろ」と言われた。兄は堺にある病院に勤めていたので、そこで診察を受けて、点眼薬を出してもらったところ、翌々日には治ってしまった。

なんということはないエピソードだったのだが、「ああ、もしかしたら失明してしまうかも。片目が見えなくても医者になれるのかな」と本気で考えた。人は見えなくなると本当にひどいショックを受けるのだという認識を、その時初めて持った。

メガネ

父に、「コンタクトレンズをずっと装用しているのは目によくないので眼鏡はちゃんと合わしておいたほうがいい」と言われ、大学4回生の時に、もう一度メガネを作った。次の日がクラブの合宿だったのでコンタクトレンズは持っていかず、そのメガネをかけて行った。自分では、少し風変わりだが、オシャレなメガネを作っていったつもりだったのだが、評判は、「オタクの匂いがする」「怪しい痴漢」「変態」・・・後輩にまで「キショいっすよ」などと言われる始末であった。この時、金輪際、私は死んでもメガネはかけまいと誓った。

医師国家試験に合格して私は眼科医になった。ところが、患者さんの目を顕微鏡で診察するようになると、困ったことが起こった。何せ、目が乾くのだ。人間は集中すると、まばたきしなくなるらしい。敵を捕えるか、敵に捕えられるかが生死に関わる野生動物が集中する瞬間もそれと同じだろうか。とにかく、診察を続けていると目が乾いて、装用していたコンタクトレンズが診察中に勝手にポロリと落ちてしまうのには参ってしまった。「このままでは仕事を続けられない・・・(大げさですか?)」仕方がない、私はもう一度、メガネを作ることに決めた。病院のORT(視能訓練士)さんに長時間かけてレンズを合わせてメガネ処方してもらい、中ノ島の西村眼鏡店に出向いた。ここはウチの病院が推薦する眼鏡店で、しっかりした眼鏡を作成してくれるところである。こちらは今までに、何度も似合うフレームを見つけるのに失敗しているのだ。半分疑心暗鬼である。しかし、店長さんが出してきた一本は、昨今の細いワクという流行りも取り入れ、レトロな雰囲気も漂っていた。メーカーは眼科用の顕微鏡も作っている、ローデンストック社である。私はひと目見て気に入ってしまった。・・・翌日、病院にそのメガネをかけていったところ、実際かなり評判は良かった。以前、私に「キショいっすよ」と言い放った(ほんとかどうかあまり覚えてないが)後輩たちにも見せたが、一様に「あ、けっこういいっすね」などといわれ、私のメガネ恐怖症はほぼ全快した。
それから3年。この3年間で私は人生でメガネ君の時期を過ごし、それについてさまざまな長所と短所があることに気がついた。それらをここに列挙してみよう。

長所

短所

近視は目薬や訓練で治るものではない。それに対してメガネ・コンタクトレンズに並んで、手術で近視を治してしまう方法は一般的になりつつある。メガネやコンタクトレンズで今まで良かったのだから、これからもその方法は主流であり続けると思われる。しかし、メガネやコンタクトレンズから解放されるということは人々の願望の一つになっていることも間違いない。

私も3年間、メガネをかけていて、特に不便や不満があるわけではないが、やはり顔の真ん中に乗っているモノから解放されたいと考えることも多かった。レーザーによる近視矯正手術(LASIK)も広まるにつれここ数年で著しい進歩を遂げていることは、私も臨床の場で感じていた。手術を受けたい気持ちは徐々に高まっていたのである。

しかし、誰でも見るということは生活の中で大きなウェイトを占めているので、いくら手術が安全になってきたと分かってはいても怖い。手術は一度してしまったら、もう後戻りは利かない。元には戻せないのである。眼科医が見えなくなったら、診察も手術もできず、廃業である。 私はなぜ今回、手術を受ける気になったのだろう。未だによく分からない。前から受けたいと思っていたのは確かなのである。「いろんな理由が合って、なんとなく」というのが本当のところかもしれない。「さっきまで、眼科医は眼が命とかもったいぶってたくせに、なんとなくとはどういうことだ?」と思われるだろう。

理由の一つはやはり見た目である。若いときは、もう少し大人びて見えたほうがいいかなとか思ってたのが、もうすぐ30歳というぐらいになると、若く見えるほうがいいような気分になってきた。たまに、コンタクトレンズをつけて病院にいくと、「先生やっぱり、コンタクトしたほうが若く見えるねえ。」とか言われるのである。彼女に「メガネじゃない方がかっこいい」とか言われると、早く手術せなっとか思ってしまう。まあ、どうしたって男の動機なんてのはこんなものである。

今までに病院で手術を受けた方には「格闘技をやってるので」とか「騎手になるため」などの趣味や職業選択が理由となっていることも多い。こういう理由があったほうがいいなあ、などと思うのだが、私の場合は他に見当たらなかったので仕方ない。

検査を受けて

ウチの病院で真剣にLASIKを受けようと思ったのはイギリスへの8日間の一人旅の最中であった。旅行中に、メガネやコンタクトレンズが本当にわずらわしくて、帰ったら手術を受けようと心に決めた。手術を受ける場合、検査やコンタクトレンズを外しておかなければいけない期間などを考慮しなければならない。

検査の精度が術後の視力の出方に大きく影響するのである。正確な検査を行う為には、最低でもソフトコンタクトレンズは2週間、ハードコンタクトレンズは3週間も外しておかなければならない。LASIKでは角膜をレーザーで削るので角膜の形状を正確に読み取り、機械が描写しなければならない。コンタクトレンズをつけていると、角膜の形が微妙に変化してしまうので検査の精度も悪くなってしまうのだ。

当然、手術前の2−3週間も同じようにコンタクトレンズを装用しない期間を作らないといけない。私は8月の旅行中にずっとソフトコンタクトレンズを装用していた。さらに、10月5日に音楽の発表会があるため、そこはメガネ無しでいたかったのである。スケジュールをいろいろ考えた挙句、9月に入って3週間してから検査を行い、発表会はコンタクトレンズをつけて演奏することにし、発表会後に3週間以上経過してから手術を受けることに決めた。11月はじめの連休は学会の発表があった為、これ以前に手術を受けることは不安であった。手術の日取りは11月6日にした。 検査を最初に行ったのは9月17日。次の検査を順に行った。

9月17日

10月4日

この時点で手術可能と判断したため、手術申込みした。(自分で)手術の申し込みをするときに、秘書さんから「先生、執刀医は誰にしますか?」と聞かれた。ウチの病院でLASIK手術の執刀をしている先生は日本でもっとも早い時期から手術を始めている、副院長の真野先生(現院長)である。もう一人は10年目の吉田先生で、どちらもLASIKのベテランである。どちらの先生でもいいから、後で自分で聞いておくことにした。

10月30日(術直前)

この時点での検査の数は20。検査する方も大変である。される方はそう大変でもない。
それぞれの検査の意味を説明しておこう。

オートレフラクトメーター 単なる視力測定
裸眼視力 近視と乱視の量を測り、その上で視力測定。視力が1.0、1.2、1.5、2.0が出る度数を各々測定
ビデオケラトメーター 角膜の形状を測定する検査。円錐角膜などの疾患がないかを調べる
角膜径測定 角膜が小さい場合は術中に合併症が起こることがある
瞳孔径測定 瞳孔径が大きいと、手術後にハローやグレアといった夜間視力低下が起こる
オートケラトメーター 乱視の量を自動で測定
ウェーブスキャン 普通の度数測定では分からないような微小な角膜の歪み(高次収差という)を測定
プレビューレンズテスト 高次収差さえも矯正したレンズで視力測定
角膜内皮計測 角膜裏側の細胞(内皮細胞)数を測定。細胞が少ないと手術不可
シルマーテスト 涙液の量を調べる。ドライアイがひどいと手術後によけいドライアイが悪くなる
角膜厚測定 もっとも大事な検査。角膜を削る手術なので薄すぎる人は手術不可
細隙灯顕微鏡検査 角膜・水晶体に病気がないか、緑内障やぶどう膜炎などがないか調べる
散瞳下精密眼底検査 網膜や視神経に病気がないか調べる
眼圧測定 手術後は眼圧が低めに測定されるのであらかじめ調べておく
散瞳下矯正視力検査 水晶体の調節力を麻痺させた状態で近視や乱視の度数を測定
血液検査 血液を介して伝染するような感染症がないかどうかチェック
血圧・脈拍測定 手術中に血圧異常や不整脈が出ないかチェック

手術が可能かどうかを判定する為の検査と、手術後の視力の精度を高めるための検査の二つに分かれている。大概の人は手術が可能であるようだが、近視や乱視があまりに強すぎる人は完全に治すことは難しい。

10月29日

血液検査・血圧脈拍測定の時、本当はコンサルテーションがある。これは手術を受ける前に、本当は手術の内容・注意点・手術の合併症・手術後のケア・現在の体の状況についての質問などをおこなうのである。

しかし、「先生は全部知ってるからいいでしょ!」と全然説明してくれなかった・・・。(同意書にはサインさせられた)「手術が失敗したら、説明もなしに手術をされてえらい目に遭ったと訴えてやる・・・」と、とりあえず捨て台詞を吐いておく。された説明と言えば、手術後は目の保護用に新しいゴーグルを病院が購入したのでこれを貸し出してくれる、というものだった。

このゴーグル、ちょっと浜崎あゆみのサングラスにも似ているのだが、MサイズとLサイズとデラックスタイプがある。デラックスタイプはフレームの角度が変えられるのである。もちろんデラックスタイプを予約した。(顔がでかいから) 吉田先生に執刀を頼んだところ、「もし手術が失敗したら、お前の人生を一生背負っていくのは俺には無理やから、真野先生にしてもらえ」と言われてしまった。

後日、執刀をしてもらう真野先生に「先生、手術を受けることになりました。お手柔らかにお願いします」と挨拶をした。「あ?ああぁーそうか・・・ほんまにほんまに受けるんか?」

11月5日

手術前日に、レーザーのコンピューターで翌日に行う手術の設定入力をした。ここからはちょっとマニアックな会話である。実際にLASIKを手術している眼科の方にしか分からないであろう。

執刀医 「先生、どれぐらいがいい?やっぱりせっかくやるんやから、2.0見えるようにしよか?それとも、一段階ゆるめにしといて、1.5ぐらいにしよか?そのかわり、1.5やと、やっぱりちょっと不満やと思うで。2.0見えるぐらい、きっちり合わせた方がいいと思うけどな〜。もしレグレッション(近視が戻ること)が起こっても再手術しなくてすむかもしれへんし。」

「じゃあそれでお願いします。2.0狙いだと、右がS−3.5、C−0.25の軸が45°、左がS−4.0、C−0.25の軸が10°です。」

吉田

「ほんまにきっちり合わせるんか?老眼をはやく意識してしまうようになるで。」

「……でも2.0見えたらすごいですよね。」

執刀医

「ほなきっちり合わせとくで。ウェーブフロントはどうする?今までウェーブフロントでやった人はほとんど1.5以上出てて、すごい成績いいで。おっ、プレビューレンズでも両眼2.0見えてるやないか。」

吉田

「プレビューレンズやと、右がS-3.71、C-0.35の軸が7°、左がS-4.09、C-0.56の軸が154°ですねえ。軸が矯正と違うようですけど。」

執刀医

「ウェーブフロントやと、角膜を削る量が大体1.5倍になるんやけど、ベッドどれぐらい残る?」

「従来のやり方では右が365μm、左が357μmですけど、ウェーブフロントですと、右が344μm、左が338μmです。」

吉田

「行けますけどね、ケラトエクタジア(角膜が薄くなりすぎて変形する合併症)も大丈夫……かもね。」

執刀医

「エンハンス(再手術)はちょっと無理やろな。」

「せっかくだから最新のフルコースで行きますわー。ブレンドゾーン+ウェーブフロントで。」

執刀医

「おっしゃ。せっかくやからな。」

吉田

「30歳、-3.5と-4.0だとノモグラム参照でもほとんど変更ないですね。」

執刀医

「じゃあ、検査の数字どおり削りまっせ。」

手術当日

11月6日

手術当日、起きた瞬間の気分はかなり悪かった。前日の夜は、まったく寝付けなかったのである。午前の3時まで起きていたことは覚えている。午前は外来があるのだ。多分、予約は35人ぐらいだった。私は、眠い目を・・・こすらなかった。ここ最近、眼を触るようなことはしていない。こすって角膜に傷がついたり、形が変わったりしたら手術精度に影響が出る・・・ような気がする。午前は外来診察なので私はネクタイを締めた。満員の地下鉄に揺られているとき、自分の受ける手術の合併症が起こる確率や、術後視力が1.0以上出る確率がいくらだったかなどを思い出そうとしていた。しかし、病院に到着して自分が主治医として担当する入院患者さんの診察を始めるころには、午後の自分の手術のことはもう完全に忘れてしまった。前日に白内障の手術をした患者さんに特に問題はなかった。

今回の手術の内容について説明しておこう。LASIK(Laser In sItu keratomIleusIs)は現在の屈折矯正手術の主流になっている術式である。最近は日本でも一年間に数万人が手術を受け、近視だけでなく乱視や遠視も治してしまう時代になった。

眼科の領域では近視・遠視・乱視などは屈折異常とよばれる。人間の目は角膜と水晶体というものがレンズの役割を果たしている。この二つのレンズによって眼球内部にある網膜に焦点が合えば、ものがぼやけずにはっきり見えるのである。眼球をカメラに例えるとしたら、角膜と水晶体がレンズ、瞳孔が絞り、網膜がフィルムと考えれば分かりやすいだろう。子供のころに、虫眼鏡で黒い紙に太陽の光を一点に集中させて、紙を焼いた覚えがあるだろうか。そのときにレンズと紙の距離を遠ざけたり、近づけたりして焦点を合わせたはずである。光が一点に集中した状態が、焦点が合っている瞬間である。もちろん、人間でも長い間太陽を見続けると、網膜が障害を起こしてしまう。眼球の大きさ(角膜と網膜の距離)も一人一人異なっているので、角膜と水晶体という二つのレンズで、焦点が合わないことがある。それが屈折異常である。屈折矯正手術は、角膜のカーブをレーザーで焼いて、形を変えることで、外からの光の焦点を網膜上にはっきり合わせてやる手術である。

手術の順序

  1. 点眼麻酔
  2. 目の周りをイソジン消毒
  3. ドレープ(清潔な布)で顔をおおう
  4. 開瞼器(まぶたを開けて固定する器械)をつける
  5. 眼球を洗浄
  6. フラップ作成の為に眼球に吸引をかけて眼圧をあげる
  7. マイクロケラトームという専用のカンナのような機械で角膜表面を薄く切る(フラップ作成)
  8. フラップをめくる
  9. 露出した角膜の内部にレーザーを照射して角膜を削る
  10. フラップを戻して洗浄する
  11. フラップ内部に刃のかけらやほこりが入っていないか確認
  12. 開瞼器・ドレープを外す
  13. 抗生剤と抗炎症剤を点眼する
  14. 眼帯を装用

外来診察は13時ぐらいに終了した。いつもよりかなり早く終わったと思う。ケアルーム(手術前後の休憩・回復室)に連絡して、手術開始時間を問い合わせたところ、14時半ぐらいにケアルームに来てくださいとのこと。「先生、服装はどうしますか?」と聞かれ、私服は気恥ずかしいので、手術着で受けることにした。 一部始終を後輩の先生に撮影してもらうためのビデオカメラをチェックしたところ、壊れて動かなかった・・・。「不吉だ・・・ 」「先生の目でフラップ作成真っ最中にマイクロケラトームが止まるかもしれませんね」と後輩に言われ、ブルーになる。まだ一回も起こったことはないが、本当にとまった場合はフラップをそのまま戻して何もせずに手術終了であろう。自分のビデオカメラを使うのはあきらめて、病院の大きなビデオカメラを使用することにした。

その日のLASIK手術の予定は6人で、私は一番最後の予定であった。手術の予定時間はある程度決まっているのだが、その日はすこし時間が押していて、実際にケアルームに呼ばれたのは15時だった。その日は自分の執刀する予定手術はなかったため、それまで病棟に入院している担当患者さんの診察を終えても時間があった。15時にケアルームへ行くと、美人の看護師さんたちが笑顔で(ニヤリと)迎えてくれる。「あちらのベッドでどうぞお待ちください。ゆっくり横になっていただいて結構ですよ。いろいろ雑誌などもありますので。」ほかの日帰り手術を受ける患者さんもいるので、あまり分からないようにほかの患者さんと同じ扱いにして頂いているのだが、なかなか丁寧な対応をしてくれた。多分、ほかの患者さんがいなかったら、「先生、まあ適当にウロウロしといて。」などと扱われていることだろう。手術を受ける患者さんはこんなにいい気分で手術を受けられると思うと、何回でも手術したくなる?かもしれない。後輩のDrにビデオを回してもらい、手術前の緊張した面持ちと軽いインタビューを映しておく。手術直前の血圧と脈拍を測定してもらった後、ベッドで横になって雑誌を読む。後輩のDrは私の休憩姿を眺めていても仕方がないと思ったらしく、3階の手術室に手術の進行状況を見に行った。

手術室に呼ばれたのは16時前だった。患者さんの着る手術室用のガウンを上から羽織り、看護師さんに手術室まで付き添ってもらう。「自分で勝手に行ってください」と言われるかと思っていたが。3階までエレベーターで降りると、目の前が手術回復室である。ここで手術直前の患者さんは手術室に入る前に待っておかなくてはならない。手術室の中はある程度清潔でないといけないので、ここでスリッパを履き替え、帽子をかぶせられる。本当はマスクもしたほうがいいのだが、いろいろとやりすぎるのも患者さんの緊張につながって、手術もしにくくなるだろう。

極度の緊張は手術の不成功につながる要因になる。手術を受ける患者さんの緊張をほぐすのも非常に大切な仕事だということが良く分かった。緊張すると血圧が上下して不整脈なども起こるかもしれないし、まぶたも開けにくくなる。まだLASIKでは見たことはないが、パニック状態になる人だっているかもしれない。実際、若い人で網膜剥離の手術直前に痙攣発作を起こした人を見たことがある。その人は落ち着くまで手術が数日延期になったはずである。手術回復室では網膜剥離や糖尿病などの重症の方もベッドに運ばれて入っているので、私は見慣れているのだが他の人がそれを見ると緊張してしまうかもしれない。正直、6階ケアルームのほのぼのした雰囲気とは一変してしまうので、ケアルームの横にLASIK手術室があれば、リラックスした状態で手術が受けられるのになどと考えてしまう。 ここで麻酔の点眼をする。非常にしみる目薬である。目薬をした瞬間、「いたたたた」という感じである。

前の患者さんの手術が終わり、いよいよ私の番である。私のやることは決まっている。レーザーを照射する前にアイトラッキングシステム(視線が少々動いてもレーザーが追尾する装置)を作動させる瞬間に、しっかり固視灯を凝視すること、レーザー中も固視を固定すること、そしてリラックスすることである。そのほかのことは完全にお任せするしかない。ベッドに寝てしまうと、完全にまな板の上の鯉である。しっかりと頭の位置を決め、顔を水平にする。枕は頭の形に合わせたあと、空気を抜いて真空に近い状態になって頭をがっちり固定する。一度、手術の機械の下にベッドをいれ、体と頭の位置を微調整したあとベッドを戻して消毒である。麻酔点眼をして顔面の皮膚をイソジン消毒される。これがマッサージのようで、気持ちが良かった。しかし、執刀の副院長先生は緊張しているらしい。
「先生、穿孔やフリーフラップなんかはまあ、ほんまに起きへんから、心配せんでええで。」

マイクロケラトームで角膜を薄く切るときに一部を残さなければならないのだが、これが全部切れて千切れてしまう合併症が、フリーフラップである。穿孔は角膜に穴があいてしまうことである。確かに術中の合併症ではこれらが一番怖いのだが、私はフリーフラップのことなど完全に忘れていたものだから、「うわわ、そんなん言わんといて〜」と思ってしまった。大ベテランの副院長先生も、やはり眼科医の目を手術するのは緊張するのだろうか。
消毒の後、顔の上にドレープ(清潔の布。目のところだけが開いている。)をかける。レーザーの機械の下にベッドを移し、固定する。まずは右目からである。
ここからは私の思ったことだけを述べてみよう。

開瞼器を装着 「あいたたた、まぶた無理やり開けさせられると結構痛いな〜。え、まだ広げるの?いたた」

洗浄

「つめたい」

マーキング

「リングが光ってるんやけど、どのへんを見たらいいのかな?うーん、ちゃんと見れない・・リングの右肩あたりぐらいしか・・これは言うべきなのかどうなのか・・」

吸引

「重くなってきた。真っ暗になるという話やったけど、どっちかというと真っ白やな。臨死体験もこんな感じやろか。」

フラップ作成

「お、なんか下から上のほうに動いていったぞ。あれがケラトームのブレードか」

吸引解除

「見えてきた。フラップができても特に見え方に変わりないな」

フラップをめくる

「うわ、めくったら全然見えへんやん。さっき見えてたリングも完全にぼやけてしまってるし。これは自分で勝手に一点を決めて見ておくしかないのかな。でも、ここで見えませんとか言ったら先生もやりにくくなるやろし、時間がたったら角膜ベッドもドライになりすぎてしまうし。もうしゃあないわ。何も言われないということはうまいこといってんのやろ。でもフリーフラップにはなってないみたいで良かった」

アイトラッキング作動

「え?え?いつアイトラッキング作動したの?おれ、ちゃんと固視してたかな?ようわからん??」

レーザー照射

「どきどきして、なんか体全体が動いてるような気がするんやけど。こんなに動いても途中でレーザー止まれへんのやな。お、あと10秒か。やっぱりあと何秒とか聞くと安心するな。時間が分からんといつまでも終わらへんように思えるもんな。このカチカチいう音は知らんかったらびっくりするやろな。」

フラップを戻す

「お、リングが見えてきた。ほんまにあんなんで固視できてたんやろか。」

フラップ下洗浄

「あ、またリング見えなくなった。え?ちゃんと固視しろって?そんなん、洗うたびにリングが動いてどこにいったか探さなあかんようになるんやもん、無理やって。」

フラップ吸着

「あと二分?まだ緊張して心臓バクバクいってるし、もうベッドから起きて帰りたい気分何やけど。」

異物確認

「おお、まぶしい。あ、これで金属片が残ったりしてないかチェックしてくれてるんやな。」

ベッド移動

「まだ左目もあるんか。片目だけでも十分しんどいもんやな。」

ドレープをはずして点眼

「あ、もうなんか見やすくなってる気がする。全体に白くかすんでるけど。」

副院長「えらい緊張してるみたいで、体が動いてたで。リラックスリラックス。大丈夫。うまいこといっとったわ。」
私「そうですね。心臓がどきどきして、動いてたかもしれません。ちゃんと固視できてました?」
副院長「うん、ちゃんとできとったで。次も大丈夫やから」
(左目、以下略)

手術を受けて

両目とも手術が終わり、先に手術した右目は開放した状態で手術室を出た。心身ともに疲れ果ててすこし頭もぼうっとしているような状態で6階のケアルームに戻った。そういえば手術が終わった瞬間、呆然としてろくに挨拶もせずに出てきてしまったような気がした。ケアルームのベッドで横になる。点眼麻酔が切れて少しずつ痛みが出てきたような気がしたが、あまりに疲れてしまって、そのまま寝てしまった。 看護師さんに「先生、どうですか?」と聞かれて、目を覚ました。
「うーん、すごく痛いわけじゃないけど、ズーンと痛むような気がします」
「エキシマシロップ飲みます?」
エキシマシロップとは痛みの強い患者さんに処方する、モルヒネ(麻薬)の飲み薬である。
「そうやな。せっかくやから、飲んどきますわ」

エキシマシロップはレモンの味に調整していて、飲みやすかった。しかし、痛みに関してはあまり変わらないようである。後日聞いたところ、このときシロップは5mg分を飲んだが、10mgのほうが効果は強いようである。成人男性ならば10mgをお勧めする。
しばらくして執刀の先生の診察がある。診察台に顔を乗せ、顕微鏡で角膜の層間にごみが入ってないか、フラップがずれていないかなどをチェックしてもらう。
「ちょっとSPK(角膜上の小さなキズ)が強いみたいやなあ。今日は早く帰って、早く寝たほうがいいで。できるだけ目をつぶってたほうが早く治るから。」
とのことであった。今日のところは2種類の点眼を頂いた。抗生剤と抗炎症剤の点眼である。
「見え方はどうや?」
「はあ、ちょっと見えてきています。今もう、裸眼でも結構見えてます。重痛いですけど。」

実際、見えてはいたが、少し白くかすんでいるので不安であった。手術直後なのだから当たり前なのだが。ずっとこのままの見え方だったらどうしようなどと、悪いほうに考えてしまう。おかしい、モルヒネの多幸感なんて全く出てこない。
ケアルームに戻ったら、点眼指導と生活指導がある。ほかの患者さんが受けている生活指導を聞いていると、
「スノーボードはいつぐらいからできますか?」
「そうですね。スキーやスノーボードなどはもしかしたら年内は止めたほうがいいかもしれません。」
「ええ!無理なんですか」
「大丈夫な場合もあるので、担当の先生に相談してみてください。ここしばらく運動は禁止ですので。」
「アルコールはどうです?」
「明日から大丈夫ですが、あまり飲み過ぎない様にしてくださいね。」
飲みすぎるとはどの程度なのだろう。意識を失わない程度にだろう、と勝手に解釈する。

点眼指導では手術後の目薬の仕方について指導される。手術後の眼で最も恐ろしいのは感染である。もともと、角膜は上皮が外からの異物(細菌など)にたいしてバリアの役目を果たしているのだが、手術後は角膜の上皮が欠損していたり、弱くなっていたりする為、容易に感染を起こしやすい。そのため術後の点眼はなるべく清潔に行わなければならない。

  1. 手を石鹸できれいに洗う。
  2. 清潔なタオルで手をよく拭く。
  3. ベビークレンジング(無菌湿綿)を袋から取り出し6つに捌く。
  4. 捌いた湿綿で上まぶたを目頭から目尻にむかってそっと拭く。
  5. 次は下まぶたを捌いた別の湿綿で同じように拭く。
  6. 点眼ビンのフタを開け、フタの内側を上に向けて机に置く。
  7. 下まぶたを左手で下に引っ張り(あかんべー法!とゲンコツ法!がある)、まぶたを開ける。
  8. 開けている左手の上に点眼ビンを持った右手を乗せる。
  9. 点眼ビンがまつげやまぶたに触れないぐらい離した状態で一滴落とす。
  10. あふれた点眼液は別の清潔湿綿でふき取る。
  11. 目頭を3分押さえ、点眼液が鼻涙管から鼻の中へ抜けていくのを防ぐ。
  12. もう片目の方も同様にする。
  13. 同じ眼に2種類点眼するときは、5分空けてから次の点眼を行う。

と、なかなか目薬ひとつで大変な作業なのである。
(参考:多根記念眼科病院発行「点眼のしおり」)

手術後の休憩は1時間で、診察・点眼生活指導が終わったら、患者さんはもう帰宅である。次の日の診察予約時間を決定していた。私はまだ、仕事がある。来週担当する入院患者さんのカルテチェックと手術指示書を書かなくてはならない。その日は病院のスタッフとDrの合同勉強会が会議室で行われていた。私は前述の浜崎あゆみ風のデラックスゴーグルを装用し、勉強会に出席した。両目ともまだ重痛く、見え方は白っぽい状態で気分もめいっていた。勉強会後、同僚の吉田先生はもうひとつ気分の良くない私に、

吉田「先生、どうしたんや、せっかく手術終わったんやから、景気付けに飲みにいこか。」
私「え、先生、手術当日はアルコールダメって言われましたよ?真野先生も今日は早く寝た方がええって言ってましたし。」
吉田「大丈夫、だーいじょうぶやって。手術終わった打ち上げやん。」
私「はあ・・・まあ、そのまま帰るのもなんやし、ちょっと行きましょか。」

ちなみに吉田先生は前述のとおり、自分もLASIKを執刀しているDrである。結局、その日はいつもどおり同僚のDr5人で居酒屋に行き、生中ジョッキ3杯を飲んだ。目の痛みは飲み始めたときにはまだ続いていたが、ビールをあけていく内に痛まなくなってしまった。やはりアルコールの力は偉大であった。

帰宅は22時ごろであった。今日は風呂やシャワーは禁止で、少し酒臭いまま布団にもぐりこむ。眠っている間、無意識に目をこすったりしてはいけないので、就眠中は両眼に金属眼帯をしなければならない。私は一人暮らしだが、もしこの寝姿を他の人が見たら、SMの道具かと思うだろう。懐かしの武田久美子の貝ビキニにも見える。手術の疲れとアルコールのせいであっという間に眠りについた。

翌朝目を覚ましたとき、私は気分がハイになった。よく見えていた。いつもぼやけていた起床時の天井が、窓が、外の風景がはっきりしていた。ほんの少しだけ眼が乾いたような、いわゆるショボショボするような感覚はあったが、それよりも昨日よりも見えるようになっていることが嬉しかった。手術を受けた患者さんのほぼ全てが裸眼視力が向上することは分かっていたので、昨日よりも良くなっているという、ただそれだけのことが安心だったのである。私はすぐに自分の彼女に携帯メールを送信した。
「今日、目が覚めてびっくり!よく見えるよーー」
近視矯正手術を執刀するDrがよく言う言葉、「LASIKを受けた人はハッピーな気分になる。」私はまさにその状態だった。

しかし、少し不安な部分もあった。LASIK翌日はほとんど痛みを感じない人が多いと聞いていたのだが、私は少し痛かった。窓の外の、遠くの木や建物を左右で見比べてみると、右はよく見えているのだが、左は少しぼやけていた。両目ではよく見えるのだが、左目の視力はあまり出ていないようだった。デラックスゴーグルを装用し、地下鉄と自転車で病院に出勤した私は一番に執刀した先生の診察を受けた。

「おー、えらいSPKが出とるなあ、ちょっと痛いんちゃう?見え方も本調子じゃないと思うけど。」
「今日は抗生剤とステロイド点眼を頻回点眼やな。あとはヒアルロン酸点眼を2時間毎ぐらいにしときや。フラップはきれいにくっついてるわ。」
「上皮障害があるけど、ステロイド点眼してて大丈夫ですか?」
「でもDLK(LASIK後に起こる無菌性の角膜炎)のほうが怖いからな。ずいぶん上皮障害あるけど、昨日はちゃんとすぐ家に帰った?」
「え、ええ。も、もちろんですよ。ねえ、吉田先生。」
「あ、ああ、そうやな。昨日はまっすぐ帰っとったな。」

その後は視力検査があり、右目が1.5左目が0.9であった。私のほかに手術を受けた患者さんはみんな両眼とも1.5から2.0だったことを考えると、やはり手術当日に居酒屋でビールを飲むことは良くないようである。その日は外来診察も全てキャンセルして振り替えているので、一日中点眼をしていた。夕方頃にはほんの少しあった違和感もだいぶなくなってきていた。その日も当然のように飲みに行ってしまった。

一週間後の視力は両方とも1.5であった。角膜を切ったあとは顕微鏡を用いて診察してもほとんど分からなくなっているらしい。手術後の2週間は日によって非常に見やすい時と、少し見にくくなる時とがあった。診察してもらっても、特に角膜には異常がなかったので、おそらく角膜表面の涙の分布が一様でないのであろう。手術が終わってから、大体2−3カ月ぐらいはドライアイの状態になるらしい。涙が乾きすぎているときは見えにくくなるようである。

ところで、この体験記を書いているのは手術後1カ月の時点である。私は眼科医という職業柄、ほぼ毎日視力表を見ることができる。視力表の前を通りながら、さっと片目をつぶって裸眼視力検査を自分で行っている。見え方はほとんど変化なく、常に1.5以上の指標(C)は見えているようである。日によっては2.0が見えることもある。

これから受ける人へ

私は手術を受けて本当に良かったと思っている。眼鏡もコンタクトレンズもいらず、どこへでも目の事を気にせずに自由に行ける。旅行に行くときも気にしなくていい。時に大人らしく見せる為に、度の入っていないガラスをいれた伊達眼鏡を時々かけている。しかし今回の体験記にもところどころ書いたように、これは手術である。手術によって合併症も起こりうるし、近視が戻ってしまうこともある。しかも近視や乱視といった、病気ではない目に対する手術である。我々眼科医は病気を治すことが仕事であるし、病気でない目にメスを入れることがどれほどストレスであるか、どれほど眼科医にとっても恐ろしいことであるかが世の中では認知されずに手術が広まりつつある。私は、私自身がこの先LASIKの手術を執刀するようになるかは未だ決心がついていない。

LASIKを受けると一生、眼鏡やコンタクトレンズから解放されると考えている人がいる。これは誤りである。40歳半ば(個人差あり)を過ぎると誰でも水晶体の調節力が低下して老眼になる。現在のところ老眼を治す治療は、眼鏡以外、ほぼまったく確立されていない。水晶体の調節力が低下すれば、遠くがよく見える人は近くが見えにくくなるし、近視の人でも眼鏡ごしでは近くが見えにくくなる。手術を受けても40歳半ばを過ぎると近くを見るための眼鏡が必要になるのだ。逆に近視のある人は眼鏡を掛けなくても近くが見えることには変わりなく、生活にそれほど変化は生じない。

重ねて言うが、近視は病気ではない。むしろ現代に生きる人間にとっては遠くの獲物を見ることよりも、近くの書類を見ることのほうがはるかに多く、近視になることが自然の流れである。環境への適応の一つである。私は手術についての知識は多かったが、動機は半分好奇心で受けた。それは目にメスを入れられる人の気持ちが手術のときにどのようなものなのかを体験したいという医師としての好奇心であった。自分は白内障や硝子体手術を執刀しているが、目にメスを入れられる人の気持ちに本当に同調することは難しいと考えている。そういう意味でも目の手術を受けてよかった。これから手術を受けようと考えている方はいろいろな事をよく考え、手術を受けてほしい。近視を手術で治すことが自分に必要なのかどうかをよく見極めよう。十分にいろいろな情報を得て納得した上で、費用を払って手術を受け、そしてよく見えるようになったとき、本当に近視矯正手術の恩恵を受けることができたと言えるだろう。

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